都市伝説ではない千と千尋の神隠しのラストの本当の意味【千尋時間巻き戻し説】


千と千尋の神隠し [DVD]


千と千尋の神隠しのラストの謎とは何か?

先日テレビを付けるとまた千と千尋の神隠しをやっていたのでうっかりまた見てしまいました。なんでも地上波で放送されるのは今回で9回目だそうで、そうすると私も多分トータルで10回以上はこの映画を見ていることになります。

さて、そんな誰もが何回も見ているはずの千と千尋の神隠しですが、以前からラストの謎がよくわからないと言われていて、実は本当のラストが描かれた完全版が存在するといった都市伝説があったりします。

勿論これはただの都市伝説で嘘なのですが、そうした都市伝説が出回るくらいある意味スッキリしないラストなため、こうした噂話がまことしやかにささやかれてきたわけですね。

では、千と千尋の神隠しのラストシーンにおける最大のなぞとは何なのか?なんですけど、それは千尋が帰りのトンネルをくぐった途端もとの無気力で臆病な千尋に戻ってしまうということです。

つまりこの映画は千尋の成長物語であるはずなのにラストでもとの千尋に戻ってしまっては意味がないのではないか?という指摘が以前からなされていたわけですね。

私も以前からそのことが疑問だったのですが、今回の放送でそうした疑問を踏まえながらラストシーンを注意深く見ていたところ、ラストシーンの真の意味にハッと気が付いてしました。

私のこの推測がもし正しいとすれば、この映画のラストにはなんの矛盾もなく完全に上手くまとまっていることになります。つまり千尋は無事両親にかけられた呪いを解き、自身もちゃんと成長しているのです。

千尋は両親と再会するために自分の時間を巻き戻した

それでは千尋がどうやって両親と再会したのかを思い出していきましょう。

まず千尋が自分の名前を思い出すことで自身にかけられた呪いを解きました。次に沢山いる豚の中に自分の両親がいないことを見破って両親にかけられていた呪いを解きます。この後、ハクに連れられてトンネルに向かい両親と再会します。

ここまでが両親に再開するまでの流れですが、この中でいくつか引っかかる疑問点が存在しています。まず一つ目はなぜ千尋は帰り道で後ろを振り返ってはいけなかったのか?そして二つ目はなぜ両親は沢山の豚の中にはおらずトンネルの前で待っていたのか?です。

実はこの二つの疑問点は一つにつながっていて千尋があることをした考えると全て筋が通ります。ではこの時千尋がしたあることとはなんなのか?

その答えは「千尋が湯屋の世界に迷い込んだ時点まで自分の時間を巻き戻した」です。

一つ目の疑問。千尋が後ろを振り返ってはいけないのは、ハクの手を放しトンネルに入るまでの距離を歩くことで千尋が自分の時間を巻き戻しているからです。この間、振り返ってしまうとまた時間が進んでしまうので振り返ってはいけないわけですね。

二つ目の疑問。両親がトンネルの前で待っているのは、両親の時間が湯屋の世界に迷い込んだ時点で止まってしまっているからです。つまり両親の時間は豚になっていた間一切進んでおらず、両親がトンネルの前にいるのはこのことを示唆しているわけです。

両親と千尋が再開した時、両親は千尋が迷子になっていたと思っていますが、実際は逆で両親の方が時間の中で迷子になってしまっています。両親は時間の中で置き去りにされていて、両親と千尋との間には経過した時間にずれが生じていているわけですね。

千尋が沢山の豚の中に両親がいないと気付いたのも、両親が今この時間にはいないと気付いたからではないかと思います。両親の呪いを解くシーンでは千尋の方の時間が大分先に進んでしまっているので、千尋は一度湯屋の世界に迷い込んだ時点まで自分の時間を巻き戻し、両親のいる時間まで戻ってあげて両親を拾って連れ帰ってあげないといけなかったというわけです。

そうしないと両親の方は何も事情が分かっていないので、千尋の方が迷子になっていると思い込んでしまっているわけですね。

帰りのトンネルの中で千尋はもとの臆病な少女に戻っている

さて千尋が自分の時間を巻き戻した証拠として、帰りのトンネルの中で千尋はもとの臆病な少女に戻ってしまっています。このことは千尋がトンネルの暗闇の中で母親の腕にしがみついていることからわかります。これは銭婆の家に向かう夜道でみせた姿とは真逆の姿ですね。

そして当然のごとく、時間を戻した代償として千尋は湯屋での記憶も完全に失っています。このことはトンネルを抜けた後の千尋の反応を見れば明らかです。

そしてこのことが成長物語としてはストーリーが破綻していると指摘される理由になっているわけですが、勿論そうではなくちゃんと千尋が湯屋で経験した記憶を取り戻すためのしかけが用意されています。

それがそう、銭婆にもらったあの紫の髪留めなんですね。

銭婆にもらった紫の髪留めにはいったいどんな魔法がかけられているのか?

千尋は帰り際、銭婆から紫の髪留めをもらいました。このときの銭婆のセリフを振り返ってみましょう。銭婆は紫の髪留めを渡す際こう言っています。

銭婆: お守り。みんなで紡いだ糸を編み込んであるからね。

このセリフはいったい何を意味しているのでしょうか?銭婆は魔法使いですからこの紫の髪留めがただのお守りではないことは明らかです。銭婆が劇中、数々の魔法を駆使していたことを考えれば、この紫の髪留めにも何らかの魔法がかけられているのではないでしょか?

ではどんな魔法がこの紫の髪留めにかけられているのか?それを明らかにするためにこの髪留めが作られた工程を振り返ってみましょう。

この髪留めを作る時、ネズミになった坊がグルグルと糸車を回していたのを思い出してください。そしてもう一つこの髪留めには「みんなで紡いだ糸を編み込んである」と銭婆が言っていたのも思い出しましょう。

ここにこの紫の髪留めにどんな魔法がかけられているのかのヒントが隠されています。紫の髪留めにはどんな魔法がかけられていると思いますか?

答えはそう、再び時間を進めて湯屋での記憶を思い出す魔法です。

ネズミになった坊がグルグルと糸車を回していたのは早送りの様に時間を進めることを意味しています。そして「みんなで紡いだ糸を編み込んである」という銭婆のセリフはこの髪留めに湯屋での記憶が編み込まれていることを意味しています。

銭婆は千尋が両親と再会するために一度自分の時間を巻き戻す必要があることをわかっていて、もう一度湯屋での記憶を取り戻すための魔法をかけた紫の髪留めを千尋に持たせたというわけなのですね。

なぜ戻ってきた現実世界では時間が経過していたのか?

千尋と両親がトンネルを抜けて再び現実世界に帰って来ると、現実世界ではいくらか時間が経過していました。このことは車の上にほこりや葉っぱが積もっていたことからわかります。

この戻ってきたら時間がたっていることも、この映画の謎の一つとされていますが、いったいどれくらいの時間がたっているのか、はっきりとしたことは劇中からはよくわかりません。

宮崎駿監督はこの経過時間について何かのインタビューで2か月だと答えているそうですが(ネット上の情報でどのインタビューかは確認がとれず)、もし本当に2か月だとするならばこれは千尋が湯屋の世界に行っていた時間だと考えるのが妥当だと思います。

もしこれが全ての人に等しく同じ時間が流れる近代的な時間を前提にするなら、現実世界で2か月も時間がたっているのは矛盾していて、千尋と両親はトンネルに迷い込んだ時点の時間に戻って来なくてはいけません(ただしこの場合だと湯屋の世界の時間も2か月分巻き戻っていることになってしまう)。

ただ、個人によって時間の流れ方が違うことを前提にするなら、2か月時間がたっていることは矛盾しません。つまり、現実世界では2か月が経過していて、両親の時間は2か月前で止まっており、千尋の時間は2か月分巻き戻されていると考えればいいわけです。

千尋がこの後、湯屋での記憶を2か月分の取り戻すとするならば、現実世界の方は2か月分時間が経過している方が自然だというわけですね。

劇後、千尋はどのようにして湯屋での記憶を思い出すのか?

トンネルを抜けた後、千尋がトンネルの方をじっと見つめて何かを思い出そうとしているかのようなシーンが描かれています。結局何も思い出すことは出来ないわけが、その後ろ姿にははっきりと紫の髪留めも描かれています。

このシーンが示唆するところは、今はまだ湯屋での記憶は思い出せないがいずれ紫の髪留めの魔法によって湯屋での記憶を思い出すことになる、ということではないかと思います。

ここから先は劇中に描かれていないのであくまで想像の域を出ませんが、おそらく千尋が家に帰って紫の髪留めに触れた時にその魔法は発動するはずです。

千尋が湯屋での記憶を一瞬で全て思い出すのか、それとも少しずつ思い出していくのかはよくわかりませんが、いずれにせよ千尋は湯屋での2か月分の記憶を全て取り戻すことになるはずです。そして千尋はまた湯屋で見せた活発な少女に成長するというわけですね。


以上が私が気付いた千と千尋の神隠しのラストの意味です。この分析があっているかどうかは正直よくわかりませんが、私としてはこれをとりあえず「千尋時間巻き戻し説」とでも呼びたいと思います。

とにかく紫の髪留めの魔法によって千尋はまたあの活発な少女に戻るわけですから、映画のラストよりかは随分スッキリしますね。ということで、良かった!良かった!

(追記)

実を言うと、宮崎駿監督はこの映画についてのインタビューで「千尋は成長などしない」と発言しています。この宮崎駿監督の言葉を受けてほとんどのこの映画の評論は、千尋は成長していないが千尋の心の奥には何かが残ったはず、といった感じの捉え方をしていることが多いようです。

しかしながら私としてはこの宮崎駿監督の発言を真に受けてもいいものか疑問を持っています。なぜなら誰がどう見ても劇中の千尋は明らかに成長しているからです。

宮崎駿監督はこのほかにも「成長すればいい映画だという風潮をひっくり返したかった」といった発言もしているので、この映画を単純な成長物語にはしたくなかったようなのです。

おそらくこの映画をただの単純な成長物語にはしたくなかった宮崎駿監督が、物語の結末をひねりにひねった結果こういう結末になったのではないかと私としては思うのですが・・・どうでしょうか?

(追記2)

この千尋時間巻き戻し説の中で若干説明不足になっている箇所があるかと思いますので補足記事を書きました。

異界に迷い込むと時間と空間が逆転する【千と千尋の神隠し 千尋時間巻き戻し説の補足】

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