崖の上のポニョ [DVD]
先週の千と千尋の神隠しに引き続き日テレのジブリ祭りで崖の上のポニョを見たので、今回は崖の上のポニョの物語の構造分析などを書いてみようかと思います。
と言っても、崖の上のポニョは千と千尋の神隠しほどストーリー的に謎があるというわけではないので、今回はごく簡単に出来るだけ短文でまとめてみたいと思います。
ポニョは魔法の力でいったい何をやったのか?
まず物語の前半部分でポニョが魔法を使っていったい何をやったのかを解説してみたいと思います。
ポニョが生命の水を浴びて強力な魔力を得た後、大好きな宗介を追跡していって最終的に崖の上の家で再会を果たします。ポニョは魔力で大きな嵐を引き起こしていて宗助の住む街を崖の上の家を残して海に沈めてしまったことがわかります。
この時いったい何が起きたのかというと、ポニョは崖の上の家に自分の好きな物だけを集めた世界を構築してしまったわけですね。この家にあるのは大好きな宗介と美味しい食べ物だけで、ポニョが嫌っているものは何もない閉じた世界(結界まで張られている)です。
そしてその結果、困ったことにポニョを中心に物凄い引力が発生してしまいます。これが津波を引き起こし崖の上の家を中心に海を盛り上げ、月を引き付けてしまって世界が崩壊の危機に陥っているわけですね。しかもポニョ自身はこのことに全く無意識で、自分が世界を危機に陥れているという自覚が全くないのです。
この強力な引力はポニョが使った引き寄せの魔法といった感じもので、自分の好きな物だけを引き寄せた結果、巨大な引力を発生させてしまっています。この巨大な引力は言わばポニョの中で芽生えた自我で、自分の好きな物だけに囲まれて暮らしたいという肥大化した自我が暴走してしまっているわけですね。
おそらくこの映画のタイトルが「崖の上のポニョ」なのは、ポニョが崖の上の家に作り出した自分の好きな物だけを集めた世界、という意味なのではないかと思います。ポニョは崖の上に自分のわがままの帝国を築いてしまったというわけですね。
ポニョの3形態のトランスフォームと宗介によるポニョの全面的な受容
ポニョは劇中で3形態にトランスフォームします。そのトランスフォームをわかりやすくまとめるとこうなります。
かわいい人面魚⇔醜い半魚人⇔人間の女の子
かわいい人面魚⇔醜い半魚人⇔人間の女の子
このポニョのトランスフォームの中でまず踏まえておきたいポイントは、ポニョが魔法を使う時には必ず人間の姿から半魚人の姿に戻らなければならないという点ですね。ポニョは魔法を使う時必ず半魚人姿になるので、宗介は度々ポニョの醜い半魚人姿を目撃することになります。
宗介は最初こそ一瞬驚いた表情を見せますが、あっさりとポニョの醜い半魚人姿を受け入れてしまいます。そしてポニョの醜い半魚人姿を受け入れたことが、最後にポニョが人間になる時に意味を持ってくるわけです。つまりポニョに対する全面的な受容ですね。
宗介はごく短い間にポニョのありとあらゆる面を見せられることになります。そのポニョの全てがこの3形態のトランスフォームに現れていて、宗介はポニョのかわいい姿も醜い姿も全てを受容するわけですね。
そうした宗介がポニョを全面的に受容していくプロセスが、この3形態のトランスフォームで表現されているわけです。
ポニョの居眠りとトランスフォームの関係性
次にポニョのトランスフォームと居眠りの関係ですが、見る限りポニョは半魚人になって魔法を使いすぎるとどうも居眠りを始めるようです。つまりある意味燃料切れを起こしてしまうので、眠ってエネルギーを回復しなければいけないというわけですね。ただ、注意しないといけないのは終盤で居眠りを初めてトンネル内で半魚人に戻り、トンネルを抜けたところで人面魚に戻るのは、この魔法の燃料切れとは関係ないということです。ポニョは最初の居眠りでは人間の姿を維持して眠っていますから、魔法の燃料切れによって人面魚に戻ったわけではないわけです。
ここはちょっとややこしいので混乱を招くポイントだといえますね。
ポニョはなぜ魔力を失ったのか?
ではポニョがトンネルを通過した後なぜ人面魚に戻ってしまったか?なんですが、これには二人でひまわり園に向かう途中に出会った赤ちゃんが関係してきます。
宗介とひまわり園に向かう途中、ポニョは赤ちゃんを連れた母親と出会うわけですが、この時赤ちゃんにあげるおっぱいになるならと、この母親に自分の為のスープとサンドイッチを差し出します。
更に赤ちゃんとも何やら言葉を超えたコミュニケーションを取ります。この言葉を超えたコミュニケーションによって元気がなかった赤ちゃんは突然元気を取り戻します(おそらく生命力を分け与えた)。そしておそらくこれらの行動がポニョが魔力を失う原因になったのではないかと思います。
ではなぜこれらの行動によってポニョは魔力を失うことになったのでしょうか?
それはポニョがここで初めて誰かの為に何かをやってあげたからです。ポニョは崖の上に自分のわがままの帝国を築いているわけですが、初めて人の為に何かをやってあげたことで、崖の上に築いたわがままの帝国が崩壊し始めたわけですね。
これまで自分の為だけに生きてきたポニョが生まれて初めて人の為に何かをやってあげたことで、結果的に肥大化した自我の殻に亀裂が入ってしまったわけです。そしてその結果、崖の上に築いたわがままの帝国が崩壊へと向かうわけですね。
ポニョが魔力を失う場面であるトンネルのシーンでは、ポニョは「ここ嫌い」と最後の抵抗を見せます。しかし既に魔法の燃料切れで強力な眠気に襲われているため、トンネルに入ることに抵抗することができません。
このトンネルのシーンは肥大化した自我の殻の外に出ることを象徴していて、このトンネルを抜けると崖の上に築いたわがままの帝国の外に出てしまい、ポニョは強力な魔力を失って崖の上に築いたわがままの帝国が崩壊するわけです。
そしてトンネルを抜けた瞬間ポニョの肥大化した自我の殻は壊れ、ポニョは元の人面魚の姿に戻って魔力を失い、それによって巨大な引力も失われて世界の危機は去るわけですね。
ポニョの魔力は全て崖の上に築いたわがままの帝国の維持に使われていますから、その魔力が赤ちゃんの為に使われたことで魔力の根拠が失われてしまい、崖の上に築いたわがままの帝国を維持できなくなってしまったというわけです。
ポニョの魔力は全て崖の上に築いたわがままの帝国の維持に使われていますから、その魔力が赤ちゃんの為に使われたことで魔力の根拠が失われてしまい、崖の上に築いたわがままの帝国を維持できなくなってしまったというわけです。
ポニョが人間になる為の古い魔法とはなにか?
ということで、二人がトンネルを抜けた時点で世界の危機は去っているので、ここで物語が終わってもいいわけですが、勿論そんな訳にもいかずポニョが人間になるという課題が残っています。
もともとポニョを人間にするという話は世界の危機を回避するための方法だったわけですが、フジモト達の予想外にも世界の危機はあっさり去ってしまったので、ここではポニョが人間になるという課題だけが残ったわけですね。
もう世界の危機は去ったけれども、ポニョが人間になりたいという願いは叶えてあげましょうというわけです。世界の危機は去っているので、後はのんびりしたもんです。
さて、ポニョが人間になる為の古い魔法ですが、どうもアンデルセン童話の人魚姫のお話に由来するようです。人魚姫は人間の姿になって王子と再会し、王子に愛されて結婚出来れば魂を得て人間になれるが、結婚できなければ魂を得られずに泡になって消えてしまうという話で、王子と結婚できなかった人魚姫は最後は泡になって消えてしまいます。
宮崎駿監督はこの映画のインタビューの中でこのアンデルセン童話の結末が気に入らないと発言していて、このアンデルセン童話のアンチテーゼとしてこの映画を構想したようです。つまりこの映画の構成は宗介(王子)がポニョ(姫)を選んでポニョ(姫)が人間になる結末にするために組まれているということですね。
ポニョが人間になる為には宗介がポニョの全てを受け入れなければならないわけですが、ここまでくる間に宗介はポニョのかわいい姿も醜い姿も全部見てきているので、これを何の迷いもなくあっさりと受け入れてしまいます。
ポニョの方も人間になる為には魔法を捨てなければいけないと言われますが、これは人間になる為の交換条件のようなものでポニョに魔法を放棄させるための方便です。
ただ、ポニョも人間になれば好きな物だけに囲まれてわがまま放題に暮らすという訳にもいかないので、人間になるともう魔法は使えなくなってわがまま放題は出来なくなりますよと諭されるわけです。
ポニョが人間になる為には宗介がポニョの全てを受け入れなければならないわけですが、ここまでくる間に宗介はポニョのかわいい姿も醜い姿も全部見てきているので、これを何の迷いもなくあっさりと受け入れてしまいます。
ポニョの方も人間になる為には魔法を捨てなければいけないと言われますが、これは人間になる為の交換条件のようなものでポニョに魔法を放棄させるための方便です。
ただ、ポニョも人間になれば好きな物だけに囲まれてわがまま放題に暮らすという訳にもいかないので、人間になるともう魔法は使えなくなってわがまま放題は出来なくなりますよと諭されるわけです。
そして二人がこの条件を受け入れたことでポニョはグランマンマーレに人間にしてもらい、二人は無事結ばれて(?)めでたしめでたしのエンディングとなったわけですね。
ということで以上が崖の上のポニョの物語の構造分析ですが、冒頭でごく簡単に出来るだけ短文でまとめてみたいと書いたにもかかわらず、結果的に結構な長文になってしまいました。
崖の上のポニョは物語としてはやや退屈だと評価されることも少なくないわけですが、こうやって改めて分析してみると意外と裏でいろんなことが起きていて複雑な物語なのかもしれませんね。
(追記)
実をいうと二人がトンネルを抜けた時点でポニョの魔力が失われているかどうかの確信は持てていません。なぜかというと、この時点でフジモトは「もう時間がないんだ」と焦っているからです。
ただポニョが生命の水を浴びて人間の姿になれたことを考えると、ポニョが人間の姿を維持できず人面魚に戻った時点で魔力は失われているのではないかと思います。
また、宗介とポニョがキスをしてポニョが人間になる前に既に事態が終息を見せていることを考えると、ポニョが人間になることで魔力が失われるのではなく、やはり二人がトンネルを抜けた時点でポニョの魔力は失われていたのではないでしょうか?
崖の上のポニョは物語としてはやや退屈だと評価されることも少なくないわけですが、こうやって改めて分析してみると意外と裏でいろんなことが起きていて複雑な物語なのかもしれませんね。
(追記)
実をいうと二人がトンネルを抜けた時点でポニョの魔力が失われているかどうかの確信は持てていません。なぜかというと、この時点でフジモトは「もう時間がないんだ」と焦っているからです。
ただポニョが生命の水を浴びて人間の姿になれたことを考えると、ポニョが人間の姿を維持できず人面魚に戻った時点で魔力は失われているのではないかと思います。
また、宗介とポニョがキスをしてポニョが人間になる前に既に事態が終息を見せていることを考えると、ポニョが人間になることで魔力が失われるのではなく、やはり二人がトンネルを抜けた時点でポニョの魔力は失われていたのではないでしょうか?
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