般若心経の本当の意味を知りたいなら、これ一冊だけ読めばいい


謎解き般若心経

日本で最も人気があるお経、般若心経の解説本の中でも私が最もわかりやすいと思う本を紹介しますね。

経典としては破綻している般若心経

般若心経は日本で最も人気があるお経だけにこれまで多くの研究本が出版されてきました。そしてその多くが実は般若心経がいかに内容的に破綻しているか意味的に矛盾を抱えているかを指摘する内容だったりします。

この本の前半パートでもそうしたこれまでの般若心経に対する批判を丹念に検証する内容になっています。

般若心経が経典として破綻していると指摘されるポイントはいくつかあって、それは初期仏教が否定した人格神(観音様)が出てくる点やマントラが出てくる点、それに加えて文法の破綻、他の経典からの表現の借用など多岐にわたります。

こうした破綻から般若心経はすでに学術的には偽経とみなされているわけですが、勿論この本はそこで終わらずここから一気に急旋回して、般若心経が今でも仏教の経典としてちゃんと生きているという結論にたどり着きます。ここが他の般若心経研究本と違うこの本の最も面白いところなんですね。

そもそもの仏陀の教えとは何か?

ではなぜこれほど多くの破綻をきたした経典が今でも仏教の経典として有効性を失っていないのかなんですが、それを検証するにはまずそもそも仏陀の教えとは何だったのかをおさらいする必要があります。

そもそもの仏陀の教えとはつまり、あらゆる捕らわれから自由になること、物事に捕らわれることが苦なわけですから欲を捨て争いをやめ心穏やかにというのが仏陀の根本的な教えです。つまりあらゆる捕らわれから自由になった心の状態がさとりなわけですね。

だとするならば般若心経を読むことであらゆる捕らわれから自由になり、さとりの境地にたどり着ければいいわけです。

そして面白いことにこの本では般若心経はそうしたさとりの境地へと読む人を導くために意図的に破綻を含みこんだ形で編纂されたのではないか?というのです。

般若心経は今も有効性を失っていない

冒頭に書いた般若心経への批判の多くは主に小乗仏教の側からなされたものです。小乗仏教というのは出家を必要とするなど非常に形式を重んじます。そしてとても理屈っぽいわけですね。

小乗仏教の人たちはとても厳密に忠実に仏陀の教えを守ろうとするわけですから、とても理論的で形式的なわけです。そしてこの理論的で形式的なところに小乗仏教のほころびがあります。

ではそのほころびとは何か?

それは理論や形式への執着です。つまり小乗仏教は理論や形式に捕らわれているのではないか?というわけです。

そもそも仏陀の教えとはあらゆる捕らわれから自由になることなわけですから、理論や形式に捕らわれるというのは本末転倒なわけで、般若心経はこうした理論や形式に捕らわれた小乗仏教に対するアンチとして作られたのではないかというわけですね。

般若心経は理論や形式から自由になるために「ないないなんにもない」とやって、矛盾を敢えてはらんで理論も形式もぶっ壊していくようなそういった破壊的な作りになっています。

そうやって読む人の頭の中をグルグルにしておいて、最後に悟りたければマントラを唱えろとやるわけです。

般若心経はそういったやり方で読む人をあらゆる捕らわれから解放する装置になっているわけで、そういう意味でお経として全く死んでいませんし今後も読む意味があるお経であり続けるというわけですね。

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